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山陽道(西国街道)
瀬野川沿いに

(出迎えの松)
2007年 2月11日更新
| 山陽道(西国街道) 広島市内東部・海田・安芸府中 |
山陽道は、国道2号と同じようなルートで広島市内に入っていました。広島市内東部では旧街道らしい様子も見られます。このページでは、広島市安芸区内・東区内と海田町・府中町での旧山陽道をご紹介します。

(略図)
▼瀬野
安芸区瀬野地区では、JR瀬野駅付近では国道2号の南側を、そのあと国道2号と交差して、国道2号の西側を通っています。私の持っている「ニューエスト34 広島県都市地図」(昭文社)でも、国道2号に沿って走る細い県道に「山陽道」と書かれていて、わかりやすいです。
JR瀬野駅東側では、落合の一里塚跡の石柱がライオンズクラブによって立てられています。現在では一里塚の形跡はないのですが、石柱がその存在を後世に語っています。そのすぐそばには、石の道標があり、志和方面、四日市方面の案内をしています。

(瀬野駅東側)
西に向かって進んでいくと、沿道には古い建物が残っており、街道らしい風景があります。ほどなく国道2号と交差し、交差点すぐそばには「安芸山陽道」の標識がありますので、歩いている道が山陽道ということがすぐにわかります。JR山陽線の下をくぐると、山陽道は西から南西に進路を変えます。

(瀬野駅西側)
▼中野
安芸区中野地区に入ると、山陽道はJR山陽線の西側を、線路に沿って走ります。線路の東側には瀬野川を挟んで国道2号が走っています。瀬野から中野東にかけては山が両側から瀬野川に迫っており、山陽道もアップダウンが続きます。
広島国際学院大学を過ぎてしばらくすると、JR中野東駅前にたどり着きます。

(中野地区その1)
中野東駅から広島方面へも、引き続き瀬野川の西側でアップダウンを繰り返します。景色も、中野東までとおなじようなものです。

(中野地区その2)
安芸区役所中野出張所前には、中野村道路元標が残されています。また、一里塚跡の記念石柱もあります。ほどなく、JR安芸中野駅前に到着。

(中野地区その3)
安芸中野駅前から広島方面へ進み、JR山陽線の踏切を渡ると、瀬野川に沿うようになります。瀬野川に沿っている区間は、「砂走りの出迎えの松」として、松の木があります。これは街道松の名残。この松のあたりまで安芸国の君主を家来や有志が出迎えたので、この名前がつきました。

(出迎えの松)
出迎えの松を過ぎると、まもなく海田町に入ります。境目の辺りにある砂走橋のたもとには、蓮華寺登口石柱があります。安芸中野駅北方の蓮華寺山への登山口だと思われます。

(蓮華寺登口石柱)
▼海田

(海田〜船越略図)
安芸郡海田町に入ると、しばらくは細い道として進みます。どこにでもある道といった感じです。

(海田町北部)
海田町の中心部に入ります。海田町は宿が置かれたところで、役場付近に本陣跡、公民館付近に脇本陣跡の案内板があります。本陣跡は民家になっています。海田での旧山陽道のルートは中世と近世では変わっているようで、畑賀から日浦山北側を越え府中に抜けるのが一般的だったらしい。
海田町内にはこのほか、江戸時代中・後期の建築様式の建物として残る「千葉家住宅」があります。

(海田町中心部にて)
さらに西へ進むと、海田市の一里塚跡にたどり着きます。ここも一里塚の形跡は何もなく、後年建てられた石柱がその存在の過去を語り継いでいます。

(海田市の一里塚跡)
▼船越
海田市の宿を通り過ぎると、街道は再び安芸区(船越地区)に入ります。このあたりも海田市に引き続き、古い建物が街道沿いに残っています。街道は安芸区(船越地区)の西隣の府中町との境に船越峠があり、なだらかな上りが続きます。道幅が狭く、車のすれ違いは大変です。
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![]() (船越) |
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船越峠はそんなに高い峠ではありませんが、峠によって市町の境となっています。峠を境に府中町に入ると、街道は幅の広い道路になります。「安芸山陽道」標識は、ここで終点の表示となっています。基本的に安芸区内のみを示すものらしい。
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| (船越峠) | |
▼府中町内

(船越峠〜愛宕踏切略図)
府中町内に入った旧山陽道は、現在の県道151号府中海田線と同じようなルートをとります。ただし、大通地区など一部において県道から離れているところもあります。街道は府中大橋付近から東区の曙町5東交差点まで、県道84号と70号のルートになっています。
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![]() (府中町内) |
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▼東区内
広島市東区内に入った街道は、新幹線北側の県道を西に進みます。JR芸備線と交差した後、一度県道の北側へ離れて、尾長東地区へ迂回するような形を取ります。尾長地区の道は狭いものもあり、街道から少し外れると下の写真のような道に出くわします。
![]() (JR芸備線と交差) |
![]() (右に曲がる) |
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| (街道から少し離れると・・・) | |
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| (尾長東) | |
尾長地区には、「二葉の里 歴史の散歩道」に指定されている道があり、尾長東2丁目で合流し、尾長西1丁目まで同じコースとなります。そのコース上には三本松があります。これは街道松の名残で、豊臣秀吉が1593年に植えさせた松のうち、3本残ったから「三本松」となったそうな。ちなみに今のは、あとから植えなおしたものでしょう。

(尾長地区)
また、我羅我羅橋跡があります。がら竹でできた竹橋で、橋を渡るとガラガラという音がしたため、このような名前になりました。今は水路が暗渠化されたようで、案内板がなければ橋にも見えません。

(我羅我羅橋)
愛宕地区に入ると、愛宕神社の前を通ります。そしてJRの踏切(愛宕踏切)を通ります。この踏切は今でも係員が駐在し、列車の誘導を行っています。係員がいるので踏切の操作も自動ではないのか、と思ってしまいますが、自動のようです。
![]() (愛宕神社) |
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| (愛宕踏切) | |
| 参考資料 |
沿道の案内板(出迎えの松、海田町役場前、三本松、我羅我羅橋)