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山陽道(西国街道)
山側を通る

(宮島から少し離れて)
2007年 3月10日更新
| 山陽道(西国街道) 廿日市・大野周辺 |
山陽道は、広島市内から離れても、国道2号と同じようなルートで西を目指します。ところが、国道2号のそばを走っていそうなのに国道2号から離れる場所があるのです。
このページでは、廿日市・大野エリアの山陽道(西国街道)をご紹介します。

(略図)
▼廿日市駅周辺

(略図)
広島市佐伯区から廿日市市内に入ると、すぐに一里塚跡が見えてきます。跡地には、一里塚があったことを示す石柱が建立されています。

(廿日市の一里塚跡)
一里塚跡を過ぎると、ほどなく今度は街道松が目に入ります。廿日市市内の街道松は道の両側に約6mごとに植えられていました。このあたりは1819年には68本の松があったそうですが、現在はわずかに1本が残るのみです。

(街道松)
街道松を見たあと廿日市の市街地に入り、天満宮前にたどり着きます。天満宮前には、御本陣旧跡の碑があります。昭和55年のものですが、漢字とカナで書かれており、読みにくいです。

(天神宮)
JR廿日市駅と国道2号を結ぶ県道を過ぎて、引き続き廿日市の市街地を進みます。可愛橋をわたり、県道廿日市港線の陸橋下をくぐります。この陸橋下には平良村と宮内村を隔てる古い境界石柱が残っています。この2つの村は、現在はどちらも廿日市市に属しています。しばらく歩くと、広電宮内駅・JR宮内串戸駅にたどり着きます。

(廿日市市内)

(廿日市市内)
▼新宮〜串戸 旧ルート
新宮(可愛橋)から串戸にかけてのルートは、明治31年の地形図を見ると山陽線の東側を行き、現在の宮内串戸駅あたりで線路の西側に出るルートで描かれていますが、もともとは新宮から串戸は若干ルートが違っていたようです。旧ルートは明治31年の地形図では里道(新ルートは国道)で描かれています。

(略図)
旧ルートは、可愛橋を渡った後すぐに広電の線路を越え、廿日市市役所前(平良)駅北側を通ります。そこから住宅地の中のゆるい上り坂をのぼり、JRの線路を越えます。あとはJRの西側を宮内串戸駅まで進みます。
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| (可愛橋) | |
![]() (市役所前駅裏) |
![]() (細い道を行く) |
![]() (JRを越える) |
![]() (線路沿い) |
▼串戸〜市町境
JR宮内串戸駅を過ぎると、街道は御手洗川に沿って進みます。そのまままっすぐ進むと、一里塚碑を見ることができます。街道は山陽自動車道(広島岩国道路)廿日市JCTの下をトンネルでくぐり、広島岩国道路の北側を進み、大野町との境目を通ります。境には、旧大野村(現:大野町)と旧宮内村(現:廿日市市)の境界であることを示す柱が残されています。
なお、このあたりは山間部で、人通りもあまりありません。
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| (宮内) | |
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![]() (廿日市JCT〜境界) |
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▼宮島口(は通らない)
日本三景の一つ、宮島を目の前にする宮島口。国道2号やJR山陽線も宮島口を通っています。宮島には厳島神社があり、そのアクセス道としても山陽道が通っていそうなんですが、じつは山陽道は国道2号や連絡船のりばから離れた山間部を、広島岩国道路に沿って走っているようです。どうりで宮島口駅周辺には古い道標が見つからないわけなんだ・・・。
ちなみに、広島から宮島へは、宮島街道という街道がアクセス街道になっていたらしい。国道2号の西広島以西が「宮島街道」と言われるのも、山陽道ではないからか。

(海沿いの国道2号は旧山陽道から離れる)
▼大野町東部
廿日市から大野に入った街道は、引き続き広島岩国道路の北側を進み、やがて南側へ出ます。

(大野町東部)
▼前空の北側
JR前空駅からまだ新しいニュータウンを抜けたところにある大野東小学校あたりを、旧山陽道は通っています。このあたりは田んぼが広がっています。厳島の弥山も見ることができます。
少し西に歩くと、「高庭駅家跡」の石柱に出くわします。実物があったところは石柱から離れたところらしいです。駅家というと、江戸時代より前の時代のものかな?

(田園風景の中を行く)
山陽新幹線と交差し、「島田家住宅」前にたどり着きます。この住宅は江戸時代ごろに造られたもので、木造、入母屋(いりもや)造り、わらぶき、平屋建ての構造です。

(島田家住宅)
▼妹背の滝・大頭神社
広島岩国道路大野インターのそばを旧山陽道は通ります。街道から分岐する道に、「大頭神社」の鳥居があります。少し寄り道してみましょう。この神社は厳島神社の摂社です。この神社の裏には、妹尾の滝があります。それほど規模の大きい滝ではないものの、街道歩きの一休みにいかが?

(鳥居・滝)
ふたたび街道歩きに戻りましょう。引き続き田園風景の中を街道は西に向かって進みます。

(田園風景)
▼大野浦
大野浦駅から東に歩いたところにある大野西小学校の前の交差点に、道標があります。広島方面に向かって「右 宮島 広島道」「左 宮内道 妹背瀧道 滝迄約十一町半」と書かれています。この道標は大正9年10月30日に大野町青年団によって建てられたもの。この頃になると、海沿いの道がメインルートになっていたものと想像することができます。

(道標)
道標から西に歩くと、大野浦駅前に到着します。駅前には一里塚跡の石柱などがあります。この一里塚跡から北約20mのところに実物があったそうで、高庭駅家跡と同様、なぜか離れた場所に記念石柱があります。
大野浦駅から西は、道しるべ等なくわかりにくいですが、細い道を西へ進みます。
![]() (一里塚) |
![]() (大野浦駅西側) |
この先、街道は高台に上がります。大野瀬戸を挟んで対岸に厳島や、さらに岩国のほうまで望むことができます。

(高台なので景色がよい)
丸石地区では、古代山陽道の史跡として、石橋や石畳が復元されています。

(古代山陽道の史跡)
宮浜温泉の裏あたりから、街道は山道になってきます。「歴史の道 西国街道 残念さん山道」と書かれた看板が立っているとはいえ、草もよく育っており、本当にこの道でよいのか疑ってしまうような道です。

(山道を行く)
山道を抜けると、海に近いところを通るようになります。広島岩国道路の山側を海を見ながらとおり、坂を下ってしばらく行くと大竹市に入ります。

(山を抜けて)
| 参考資料 |
案内板 廿日市街道松、大野町内古代山陽道跡、玖波(鳴川石畳)
旧大野町 公式サイト