京阪間の交通
亀岡と大阪を結ぶ街道

(亀岡街道)
2006年 1月 8日更新
| 亀岡街道 概要 |
![]() (亀岡街道略図) |
亀岡と大阪の高麗橋を結ぶ街道。このうち茨木〜大阪は高槻街道と呼ばれていたこともあるようで、亀岡街道と呼ばれるようになったのは明治25年ごろからだそうです。現に明治18年の地形図には「高槻街道」と表示されています。 このページでは、制作者が小学校時代に「亀岡街道」と教育を受けたので「亀岡街道」という呼称を使用し、亀岡・茨木の山間部をのぞく平坦区間をご紹介します。時間があれば茨木の山間部も紹介したいと思います。 この街道のルーツは古く、8世紀の「続日本紀」に登場する「三嶋路」は現在の亀岡街道のルートに近い。 |
| 亀岡街道散策 |
| ▼福井 (茨木市) |
亀岡から北摂山地を下ると、福井地区に入ります。平地と山地の境目あたりの地区です。このあたりはまだ田畑も多く残っています。

(福井)
| ▼中河原 (茨木市) |

(中河原付近略図)
国道171号線の北側で、国道171号線に沿って走る西国街道と交差します。交差地点には大きな道標が残されていますが、これは明治30年に建立されたものを昭和57年破損により再建されたものになっています。
交差地点は今は純粋な十字ですが、明治18年の地図ではT字となっていて、亀岡方面の道は若干西側から出ていたようです。道標に西・南・東方面の地名が書いてあるのに北の地名が書かれていないのは、そのあたりの事情があるのかなあと思います。
このあたりの亀岡街道は車も両方向へ通れるようになっています。

(中河原)
南下すると、国道171号と中河原交差点で交差します。

(中河原)
| ▼郡 (茨木市) |
国道171号線と交差し、郡地区に着きます。郡地区は街道の沿道に古い家屋が立ち並んでいます。
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| (郡) | |
| ▼上穂積 (茨木市) |

(穂積地区)
名神高速をくぐると、上穂積地区に入ります。沿道の建物は郡地区に比べると比較的最近のものがおおくなっています。
| ▼中穂積 (茨木市) |
上穂積からさらに南下すると、中穂積地区に入ります。万博記念公園とJR茨木駅を結ぶ府道と交差します。このあたりはJR茨木駅に近く、古い面影はまったくありません。
| ▼下穂積 (茨木市) |
中穂積のさらに南にある地区。中穂積と同様、昔の面影はありません。

(下穂積)
| ▼宇野辺 (茨木市) |
JR茨木駅から近い下穂積地区を抜けると、近畿自動車道・府道2号(中央環状線)と交差し(というよりは分断されている)、宇野辺地区に入ります。工場に挟まれながら南下すると、古い建物が散見されるようになります。宇野辺郵便局付近には2つの古い道標があります。うち1つは高槻街道との分岐を示すもので、大阪から亀岡方面と高槻方面がここで分かれていたことになります。

(宇野辺の道標)
![]() (宇野辺の街道脇) |
![]() (宇野辺付近略図) |
宇野辺地区の亀岡街道は、茨木市と吹田市の市境にもなっています。このさき市境はJRの線路となるところがありますが、元々は街道があったところではないかと私は考えます。明治18年の地図と見比べても、そのように感じています。現在は府道に吸収されてしまったような形になっていますが。
| ▼千里丘 (摂津市) |
新芦屋下から府道14号線に吸収されてしまっていた亀岡街道は、千里丘下で再び府道から分かれます。分岐地点から市場池方面の街道は吹田市・摂津市の境界にあたるので、地図上でも分岐地点はわかりやすいと思います。道標はあったかなあ?
千里丘地区での亀岡街道は、府道14号線の西側を大阪方面に向かって進みます。千里丘小学校の隣にある須佐之男命神社は亀岡街道と府道14号に挟まれるようにして建っています。ところが街道側に鳥居をおかず、なぜか昭和10年代に建設された府道側に鳥居があります。不思議な感じがしますが、これは府道を渡ってさらに行ったところに古い集落があり、その集落を向いているからではないかと私は思います。
場池公園の西側では小野原街道の分岐地点になっていて、市場池公園の入口に車止めのような形で道標が残されています。
(千里丘地区)
| ▼岸部 (吹田市) |
千里丘地区に引き続き、府道14号の北西側を通ります。沿道には「七尾集会所」という昔の地名のままの建物があります。そこからもう少し大阪方面へ歩いていくと、吉志部神社への道との分岐地点があり(岸部北3丁目)、亀岡・京都・高槻・茨木・吹田・大阪までの里程が書かれた石板(大正15年製)などがあります。さらに大阪方面へ進むと(岸部北2丁目)、佐井寺方面への道標も見ることができます。
府道に飲み込まれる岸部中2丁目付近から、どの道が街道であったのかわかりにくくなってしまいます。明治18年の古地図と現在を比較してもわかりにくいです。
(吉志部神社への道との分岐地点)
| ▼天道 (吹田市) |
明治18年の古地図では、天道付近で東海道線を越えているように描かれています。ところが現在では東海道線はここで交差せず、吹田駅東口の地下道に移っているようです。吹田〜岸辺間はJRと交差する道が少ないだけに(それも吹田工場の部分には交差がない)、天道に交差があってもよいようにも思ったのですが。
ちなみにどこで東海道線と交差していたのか、現地へ行ってもわかりにくいです。
| ▼高浜町・南高浜町 (吹田市) |
JR吹田駅の東側を通っているはずの亀岡街道ですが、やはりここでもどれが街道なのか見当がつきません。明らかに亀岡街道とわかるのは高浜神社の前を通る道(阪急相川駅へ通じる府道)に入ってからで、道標が残されています。
高浜神社から南の方向へ進む道が亀岡街道。沿道には吹田市誕生時の市役所を利用した病院がかつてはあったのですが、最近ではマンションに変化していて、市役所がかつてこの地にあったことを示す碑があります。
街道は高浜橋で神崎川を渡ります。高浜橋からは安威川と神崎川の合流を見ることができます。
(高浜地区)
| ▼東御旅町 (吹田市) |
高浜橋を渡った亀岡街道は、引き続き吹田市域を通ります。地図で確認いただくとわかりやすいと思いますが、川で市境となっていることの多い吹田市と大阪市の市境が、ここでは陸地で市境となっています。古地図で確認すると、昔は今の市境のところにも流水があったかららしい。
そんなわけで、東御旅地区の亀岡街道では、吹田市内であるにもかかわらず大阪市のマンホールも存在しています。吹田市のマンホールと大阪市のマンホールが競演しているのです。
| ▼下新庄 (大阪市東淀川区) |
国道479号(外環状線)・府道14号(大阪高槻京都線)上新庄交差点で、それまで南に向かって進んでいた亀岡街道は西に向きをかえます。上新庄交差点に入る前で吹田市から大阪市に入り、大阪市が設置した亀岡街道の案内板が目に入ります。大阪市の案内板は亀岡街道の紹介と、古地図(明治18年)と現在の地図を重ね合わせて街道の位置を細かく表示してくれています。この案内板は、上新庄交差点以外の場所でも設置されています。
交差点から離れていくと、街道は微高地を通ります。街道の部分だけまわりより高くなっていてまるで堤防のようですが、これが「東御旅町」の項でお話した、かつて存在した流水部分の名残ではないかと私は思います。
そのあと街道はジグザグに進み、阪急京都線のガードをくぐった菅原7丁目で街道は一部区間で現存していないため、途切れてしまいます。大阪市が設置した案内板にも、この区間は破線で示されています。
| ▼菅原 (大阪市東淀川区) |
菅原3丁目で府道14号線から分かれます。府道14号線に亀岡街道の案内板があります。菅原3・1丁目の亀岡街道には案内板や古い道標が残されていて、昭和末期に大阪市が建てた道標兼距離標もあります。
和合会館(菅原3丁目)の前には和合橋の石柱(いまは橋はない)と道標兼距離標があり、高麗橋から6.2kmあるようです。意外と距離があるんだなあ。
(和合橋石柱と道標兼距離標)
城東貨物線と淀川の川岸で交差し、交差地点の踏切名が「亀岡街道踏切」です。城東貨物線と府道14号線の交差地点のガードにも「亀岡街道」と書かれていてややこしいですが、踏切のほうが元の街道です。
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| (亀岡街道踏切) | (亀岡街道案内板) |
| ▼長柄橋 (大阪市東淀川区・北区) |
本来の亀岡街道は、長柄橋を通っていなかったようです。今の淀川大堰あたりで中津川(新淀川の前身)を越えるルートで、現在はここには道はありません。したがって、現在は下流の長柄橋を渡ることになります。なお、明治時代の地図では、長柄橋は「豊崎橋」という名称で描かれています。旧長柄橋が明治42年竣工で、大正3年の地図には今のルートの長柄橋が描かれながら豊崎橋は描かれていないので、明治末期までには豊崎橋はなくなったものと思われます。ちょうど明治末期には新淀川の開削などもありましたし。
大堰付近から天神橋5丁目までは、かつてのルートが残されています。街道であることを示すものはありません。

(長柄付近)
| ▼天神橋筋商店街 (大阪市北区) |
天神橋5丁目以南の天神橋筋商店街も亀岡街道上にあります。商店街を歩いてみても「亀岡街道」であることを示すものはないですが。
| ▼天神橋 (大阪市北区・中央区) |
天神橋は堂島川・道頓堀川に架かる橋。かつてはかなり長い橋と言われていたようですが、まだ長い橋が珍しかった頃の話。天神橋よりも長い橋が多く架かる今ではそんなに長い橋ではありません。

(天神橋)
| ▼高麗橋 (大阪市中央区) |
天神橋で堂島川・土佐堀川を渡って少しすると、亀岡街道の終点である高麗橋にたどりつきます。高麗橋は京街道なども終点となっています。橋の東詰に里程元標跡の石柱や案内板が置かれています。

(高麗橋)
| 参考資料 |
案内板(菅原)
神野清秀著「大阪の街道」 1989年 9月15日初版 松らい社発行 ¥950
ISBN4-87984-109-9